神学的断想

潜在意識に頑固にこびりついていたのは、なにかまだ説明のついていないものがあるという表現不能の確信だった。<チェスタートン>

ニューパースペクティブについて

・改革派サークルの中で話題となっている「新パウロ観」(New Perspective on Paul)は、どういうものか?

・ニューパースペクティブ、新パウロ観とは、パウロ神学の新解釈の意。

・アングリカン神学者N.T.ライト、J.D.G.ダンなど。

・その説くところ:

 旧約時代にも「信仰による義」はあった。
 ファリサイ派の律法学者は、行為義認でなく、信仰義認も理解していた。
 ファリサイ派の論点。信仰による義。義とされた者らの「信仰の共同体」。共同体成員は古き契約で規制される。
 パウロの論点。信仰による義。義とされた者らの「信仰の共同体」。共同体成員は新しき契約で規制される。
 共同体成員の「しるし」としての割礼→幼児洗礼
 
・その問題点:

 義認は、キリストの義の注入ではない。関係における義である。
 義認は信仰だけによらない。義とされた信者が「信仰の共同体」において果たすべき分がある。
 ↑
 義認論と聖化論の議論を混同しているのか???

 果たした分に応じて裁かれる。
 義認は、客観的なものであって、主観的なものではない。
 義認は、体験でもなく主観的な確証でもない。
 義とされた信者が「信仰の共同体」において分を果たすことで客観的に検証されるものである。
 幼児洗礼は幼児を「信仰の共同体」に加える。すなわち、神との共同体的関係に入らせる。
 主観的な救いの確証を持つ者らのボランタリーな団体ではない。
 客観的な「しるし」である幼児洗礼を受けた者らの契約共同体である。
 契約共同体の成員を規制するのは、新しき契約である。
 契約には祝福と呪いが含まれている。
 契約を履行する者は、義とされ、祝福を受ける。
 契約を履行しない者は、裁かれ、呪いを受ける。
 契約共同体は三位一体の神の構造の中に起源を持つ。
 地上のキリストの義の注入にあらず。復活のキリストとの結合である。
 復活のキリストと結合されて、いますでに共に王座に着いて支配している。
 契約共同体は、キリストの王座の支配を、地上において、どの程度分かち合うのか? 教会生活においてのみか? 社会生活においてもか? 政治と国家においても分かち合うのか?

・教会と国家の分離は、契約共同体が王座に着いている場合、いかにして担保され得るか?
 
・あなたが救われているかどうかだって? あなたの主観は関係ない。重要なのは洗礼という客観的な「しるし」であり、あなたが契約共同体の成員として、契約を誠実に履行することだ。キリストの贖いによって神との契約関係の中に入れられたあなたは、その契約関係の中で、契約共同体の一員として、契約を誠実に履行することによって、義とされる。

・契約共同体の成員の全員が、選ばれた者たちであるのか? そうではないと言われている。

・契約共同体の成員の中で、「有効な選び」を受けた者たちと、「契約的な選び」を受けた者たちと、二種類いる。

・「契約的な選び」を受けた者たちは、幼児洗礼を受け、契約共同体の成員となり、契約を誠実に履行するが、それは外見的なことに過ぎないので、義とされることはなく、裁きの日に救いから漏れる。

・「新パウロ観」の広大なキャンプの中における「フェデラル・ヴィジョン」と「オーバン・アベニュー神学」(!)

・「かの再建主義の悪夢の再来?」

・セオノミスト曰く、「世界を征服せよ!」

・フェデラル・ヴィジョニスト曰く、「まず神の家を清めよ!」

・それでは聞くが、神の家の掃除が完了したあかつきには、世界の征服を始めるのか?

・神の家(契約共同体)を清める「新しい契約」。それは次の段階として世界を清める「新しい契約」でもあるのか?

・新しい契約の内容とは? 契約共同体の成員は、石打の公開処刑にされる可能性があるのか、ないのか?

・「契約共同体による社会実験」 かのヴァンティル弁証学の「前提主義」が試みようとした、あの社会実験?

・救いの主観的な確証は、新約聖書の産物ではなく、ニューイングランドのリバイバル説教者の発明品だったのか?

・「生きているのはもうわたしではない。キリストがわたしのうちに生きている」というパウロの「主観的確証」は、主観的確証ではないのか?

ウェストミンスター信条第10章

Comments

Quantum EwingQuantumEwing Thursday, July 17, 2008 3:04:28 PM

ルイジアナ州のオーバンアベニュー長老教会のスティーブ・J・ウィルキンズ牧師は、白人優位主義に立つ「南部同盟」の理事であり、また、再建主義の立場から奴隷制度を肯定するひととして知られています。

ウィルキンズ牧師は、歴史修正主義者として、南北戦争の意味づけの見直しを進めており、「聖書を憎む北部の異教的文明が、聖書を尊重する南部のキリスト教文明を粉砕しようとしたのが、南北戦争の要因であり、奴隷解放問題は、二次的要因に過ぎない」と主張しています。その上で、「異教化が進む世界において、アメリカ南部だけが、地上におけるキリスト教文明の最後の牙城である」とも述べています。

そのウィルキンズ牧師は、南部のアメリカ長老教会において、大会や中会に対して「再建主義を正統性の保障の条項に加えること」を議題として繰り返し提出し、大会や中会で再建主義論争が起きるように仕向ける工作を行っているということです。さらに、再建主義に否定的なリベラルな教職者については、教会戒規の執行を求める訴えを繰り返し起こし、そのため、女性信徒が説教壇上で話しをするのを許可した牧師の教会に、教会規律調査委員会が入って、調査が行われたりしています。

ウィルキンズ牧師は、再建主義がアメリカを制覇する前に、まず宗教多元主義・文化多元主義である現状のアメリカ社会が崩壊しなければならない、と考えているようです。これは、ゲイリー・ノースが「Y2K問題」によってアメリカ社会が崩壊すると警告していたのと、基本的には同じ考え方でありましょう。

ただし、ウィルキンズ牧師のサークルにおいては、近い将来、アメリカ社会において人種間対立が深刻化し、そこから「人種間戦争」が起きて、アメリカ社会が崩壊し、その後、再建主義社会が建設される、と見ています。

実際に、ウィルキンズ牧師のオーバンアベニュー教会では、教会員に対して、体を鍛え、武術や武器の使い方を学んで、来るべき「人種間戦争」に備えるように、という勧めが行われているということです。このため、自分の子弟に武術を学ばせたくない親たちの中には、やむなく、他の教会に移る選択をした人もいる、ということです。

以上は、アメリカにおける「ヘイトグループ」のリストを作成し、監視を行っている、南部アラバマ州のNGO「南部貧困法センター」の報告書によるものです。

Quantum EwingQuantumEwing Thursday, July 17, 2008 3:04:59 PM

このウィルキンズ牧師が中心となって、オーバンアべニュー教会主宰の神学シンポジウムが2002年に開催されたのですが、そこにおいて、従来の伝統的な改革派の契約神学を全く覆すような「新説」が提唱されました。以来これは、「オーバンアベニュー神学」と称されて、北米の保守的な改革派諸教会を中心に広がりを見せ、たいへんな議論を引き起こしているようです。

この「オーバンアベニュー神学」の推進者には、再建主義の論客であるアンドリュー・サンドリンやジェームズ・ジョーダンが名を連ねており、まさに、再建主義と連動した新たなる動き、ということが出来るでありましょう。

この「オーバンアベニュー神学」は、伝統的な改革派神学に忠誠を尽くすと自称する「二契約論再建主義」とは対立する立場の、「非二契約論再建主義」の最新理論です。

伝統的な契約神学が「業の契約」であると見ているアダム契約を、オーバンアベニュー神学は、「恵みの契約」であったと捉えます。ここから、アダムの契約もキリストの契約も、同じ恵みの契約であったということになり、このため、「非二契約論」あるいは「一契約論」(Monocovenantalism)と呼ばれます。

スープララプサリアニズム(堕罪前予定説)において、非二契約論を採用した場合、その世界観は、「恩恵」+「恩恵」となり、完全な決定論的世界観となってしまいます。このため、非二契約論再建主義は、宇宙の中に「自律」の地点を、何らかの形で確保しなければならない。・・・このことは、当掲示板で、小生が何度か指摘したことでありました。

実際、非二契約論再建主義は、改革派神学サークルの中で近年新たに唱えられている「オープンテイズム」に接近しつつあります。

「オーバンアベニュー神学」も、最新の「オープンテイズム」を自論の構築に積極的に採用しており、そのため、J.D.G.ダンのような「改革派の新パラダイムの神学者」の著作から引用がなされ、さらにはまた、第二バチカン公会議後のカトリックの代表的神学者であるカール・ラーナーまでもが、引用されているようです。

これは、再建主義が、生き残りを図るために、現代の最新の神学を自説の補強に取り入れ、従来の伝統的な改革派神学を大幅に変更してでも、なんとか「司法律法」を生き残らせようという、苦肉の策のようです。

「オーバンアベニュー神学」の核心は、その「契約的三位一体論」でありましょう。

従来のキリスト教神学の三位一体論では、父と子と聖霊という三つの位格は、本質において一つである、という定式をとっていたのでした。

これに対して、オーバンアベニュー神学は、「父と子と聖霊という三つの位格は、契約関係において一つである」という、新たな定式を提唱するのです。

これにより、「契約関係」は、三位一体の神の存在論的な構造そのものである、ということになり、その三位一体の神が創造した宇宙は、「契約的構造を持った宇宙」ということになり、さらにまた、その三位一体の神が創造した人間は、「契約的存在としての人間」ということになります。

さて、ここから先が問題点なのです。

従来の改革派神学であるならば、モーセ律法を、アダムの「業の契約」の延長上にあるものとして捉えて、キリストの贖罪のみわざによって、「業の契約」は廃棄された、と考えるわけです。

これであると、司法律法が廃棄されてしまうことになりますから、再建主義の目論みは終わってしまいます。

そこで、オーバンアベニュー神学は、アダム契約を「恵みの契約」であったと捉え、これにより、モーセ律法をも、「恵みの契約」の延長上にあるものとし、そうすることによって、キリストの贖罪のみわざによって、「恵みの契約」は完成されて、かくして、司法律法を含めたモーセ律法全体が、新創造の世界においても、永遠に存続することになるのです(!)

つまり、キリストによる救済とは、「契約的存在」としての人間が、本来あるべき「契約的存在」としての姿に回復されることであり、それはつまり、三位一体の存在論的な構造に根ざした「契約関係」の中に、キリスト者が生きるようになること。それはつまり、「司法律法に服従して生きるようになること」だ、というわけです。

かくして、新創造の世界においては、相続税と消費税と所得税と公的医療福祉制度が全廃され、堕胎者や同性愛者の公開処刑が絶対に導入されなければならないことになります。

Quantum EwingQuantumEwing Thursday, July 17, 2008 3:05:45 PM

第二バチカン公会議後のカトリックの代表的神学者であるカール・ラーナーが述べた「経綸的三位一体は、存在論的三位一体である」という言葉を、オーバンアベニュー神学は、自説の補強に利用しているようです。

しかし、このような利用は、妥当なものなのでしょうか?

カール・ラーナーがここで述べている「経綸」とは、エコノミー、あるいは、ディスペンセーションであり、「救済史」における神の救いの行為の動的展開を意味します。しかも、それは、救済史の時間軸上の進行に応じて変化するものであることを、意味します。

改革派の「二契約論」の場合は、救済史の展開において、「業の契約」と「恵みの契約」という二つの経綸が動的に展開して行くと見るわけですから、「経綸的救済理解」をしているわけです。ディスペンセーショナリズムの場合は、七つ、あるいは、それ以上の経綸の動的な展開を考えるわけですから、これもまた、「経綸的救済理解」になるわけですね。

ところが、オーバンアベニュー神学の場合は、改革派の伝統的な二契約論を否定して、「一契約論」を言うわけです。つまり、救済史においては、「恵みの契約」という、ただひとつの、永遠に不変の、神のお取り扱いがあるだけである、というパラダイムなのです。

それはつまり、神のお取り扱いにおいては、そもそも「経綸」などというものは存在しない、という世界観であるわけなのです。

さて、そこで、先述のカール・ラーナーの言葉です。ラーナーは、「経綸的三位一体は、存在論的三位一体である」と述べたわけですが、果たして、「経綸などというものは存在しない」と主張するオーバンアベニュー神学が、このラーナーの言葉を利用出来る立場にあるのか、どうか?

小生は、はなはだ疑問を抱かざるを得ません。

Quantum EwingQuantumEwing Thursday, July 17, 2008 3:06:59 PM

2002年にオーバンアベニュー神学が提唱されて以来、正統長老教会(OPC)や北米長老教会(PCA)で大変な議論となり、大会や各地の中会で、「憂慮と懸念」が表明されているようです。このことは、日本の改革長老教会にも伝えられ、一部の神学者や教師の間で議論が始まりつつあるようです。

オーバンアベニュー神学は、伝統的な改革派の「二契約論」を「一契約論」に変更するばかりでなく、非決定論的神観・人間観に立つ「オープンテイズム」を導入することによって、従来の改革派の世界観とは全く異なる「非決定論的世界観」を打ち出そうとするものです。これは、非二契約論再建主義が、カルヴィニズムと決別し、さらには、ヴァンティル弁証学とも決別することを意味します(!)

ウェスレアン・アルミニウス主義者、つまり、「非決定論者」である小生の立場からすると、これは、まったく、「改革派がウェスレアン・アルミニアンになりたがること」であるわけで、「何をまた好きこのんで?」と、心中複雑な思いがあります(苦笑)

そういうわけで、北米の改革派の中会や大会から発せられる「憂慮の表明」は、当然のことながら、「オーバンアベニュー神学は、ローマの異端であり、アルミニウスの異端である」という批判のかたちを取ることとなっています。

それにしましても興味深いのは、再建主義と一体であるオーバンアベニュー神学が、改革派の新進気鋭の神学者J.D.G.ダンが『ガラテヤ書におけるパウロ神学』で提起した「改革派の新パラダイム」と、どうやら、密接な関連を持っているようであることです。

これは、もちろん、ダンが再建主義者であるとか、ダンがオーバンアベニュー神学陣営に組するとかいうことを意味するのではなく、再建主義/オーバンアベニュー神学側が、カール・ラーナーを便利に使っているのと同様、「ダンを便利に使っている」ということであろう、と思います。

それにしましても、現代神学における「ガラテヤ書」の位置づけ。これは、今後、さらに重要になって来ると思われます。21世紀神学の初頭における「ガラテヤ・ブーム」の到来を予感させます。

Quantum EwingQuantumEwing Thursday, July 17, 2008 3:07:36 PM

北米長老教会(PCA)では、二契約論再建主義も、一契約論再建主義も、おおむね排除される傾向にあるようです。

ヴァージニア州とテネシー州にまたがる「ウェストミンスター中会」では、「セオノミー」(司法律法を現代社会に適用して再建主義社会を建設するという思想)そのものが問題とされ、再建主義肯定派と再建主義否定派とに分裂して、それぞれ別々に新たな中会を設立することとなりました。

「中央カロライナ中会」は、オーバンアベニュー教会を抱えるルイジアナ中会に対して、「オーバンアベニュー教会に調査委員会を立ち入らせ、主任牧師スティーブ・ウィルキンズに対する必要な戒規を執行するよう要請する」との決議を行いました。

「ミシシッピーヴァレー中会」は、神学調査委員会を任命し、最終報告書が提出されて、「オーバンアベニュー神学は、聖書にもウェストミンスター信仰告白にも反する」との結論を出しました。

ミシシッピー州とテネシー州にまたがる「カベナント中会」も、「オーバンアベニュー神学は、ウェストミンスター信仰告白に反する」と決議しています。

以上の構図を見ますと、こういうことになります。

「二契約論再建主義」(ラッシュドゥーニー、ゲイリー・ノース、グレッグ・バーンセン)は、スコットランド長老教会大会によって、「ウェストミンスター信仰告白に違反する」として、異端宣告を受けました。

「非二契約論再建主義」(ジェームズ・ジョーダン、アンドリュー・サンドリン、スティーブ・ウィルキンズ)は、北米長老教会の各地の中会によって、「ウェストミンスター信仰告白に違反する」として、排除勧告を受けました。

そうしますと、再建主義は、もはや、いかような形態においても、改革長老教会の世界の中では生き残れないように思われます。

残る道は、「王国現在論/ドミニオン神学」として、「非教派的カリスマ派・聖霊の第三の波派」の中で生き残りをかけるか、あるいは、「フルプレテリズム再建主義」として、「非改革長老派諸教会」(メソジスト、バプテスト、会衆派、ホーリネス、ペンテコステ、チャーチ・オブ・ゴッド等)の中で生き残りをかけるか、でありましょう。

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