Aya ON-LINE

Lady in the Cinemaholic. Palace RoseMallow

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カタストロフのトラウマ

夏も終わり、朝晩はだんだん涼しくなってきてる。相変わらずマイペースで生きてるけど、なんとなく世の中の「活力」が喪失してきてるような気がする。だれもが、なんらかの分量で「諦観」しつつあるような。動物が本能的に死期を悟って生きる気力を放棄するような。なんか嫌な気分。というか胸騒ぎ、予感、のようなものがある。

もう駄目

原発の記事を見てると、3月にけっこう放射線を浴びているよう。もう6月なのに、全然おさまってないし。これまで浴び続けてる放射線の量をみると、もう駄目。わたしは子供を作らないことを決心した。リスクが高すぎる。私自身も、生まれてくるかもしれない私の子供も。不幸になるだけ。生まない不幸と生む(生まれる)不幸を天秤にかけて、「作らない」決心に到った。女として生まれて、かなり哀しい決心だけど、こんな状態にされてしまった怒りをどこかにぶつけても、もう起きてしまったことなんだから。といいつつ、この年までパートナーも見つけず、一人でフラフラ楽ちんに生きてきたバチが当たったのかな。こんなことなら、もっと前に子供を産んでおけばよかった。その子供と世界の果てまで逃げていくもの。もう私はこの汚染された日本で、いつか来る「死」をひとりで待つの。そんな涙が止まらない決心をした。ひたすら悲しい。

なんとも気鬱な日々

地震は止まないし、放射線もだだ漏れだし。
劇場でスクリーンを眺めていても、いつ揺れるかと脳の一部は現実に向いて覚醒している。
映画の世界にどっぷりと浸ってられない。
なんか楽しいことしたいけど、なんかみんな心ここにあらず。
お誘いもめっきり減って、ひとりモサモサと食事をする寂寥。

テレビを見ると「元気だそう」なんて空元気な上滑りの言葉が連呼されている。
でも、元気なんてそこにいるみんなの心がひとつになって出てくるもの。
そんな心がバラバラで胡乱な状態にあるのに、「元気だそう」って言ってれば
役割を果たしたと思っているマスコミのお題目が気に障る。

でも今日も明日も生きていかなければならない。明後日を考えてられない。
みんなそうなんじゃないかな。

please

God help us!

八百長

大相撲が八百長だって。っていうニュースが盛り上がってるけど、どうなんだろう。世話になってる業界の先輩に「頼むよ」なんて言われたら力を抜いちゃうかもね。スポーツの世界はわかんないけど。で、それが勝敗のやりとりにお金が介入するとビジネスになっていくのも自明。腐る腐らないの問題じゃなくて、その「格闘技」のプロ競技になると、そうであるのがあたりまえ、なのかもしれない。結局プロレスのように「物語」が面白ければよいのかもね。

恭賀新年

明けましておめでとうございます。
素敵な出会いがあればいいなって思ってますが、こればかりは…。
相変わらずの自然体でのんびりのんびり。
明けましておめでとうございます。大晦日は渋谷で過ごしました。とっても素敵なニューイヤーでした。さて、今年はどんなことがあるかな?

師走

オペラも放置してるうちに師走になってしまった。
仕事関係や友人関係からの忘年会インヴィテーションが続々と舞い込む。で、スケジュールがどんどん埋まっていってしまい、映画を観るヒマが無くなってきているのは危機的状況。ともかく、忘年会って「飲み」なんだし、体調を管理しなきゃなぁって真剣に思う今日この頃、みなさまお元気ですか?わたしは元気ありません。しっかり鬱です。いろいろ引き継いだ仕事がどれもかしこもロクな結果になってなくて、責任はないけど凹む状況が続いている。そんなんで「飲み」に対応してかなきゃならないってのが辛い。失踪してどっか潜伏しようかって真剣に検討したりして。で、その行き先が香港かマウイ島ってあたりが「人生舐めてる」って言われる所以。でもしょっぱいより美味しいほうがいいじゃない。どうせ舐めるなら。

I hope

I hope that someone present to me.

アダルト・エデュケーション

村上由佳さんの「アダルト・エデュケーション」を読む。先日読んだ「ダブルファンタジー」も女性性としての恋愛とセックスを描いていたけれど、こちらも短編集の形で同様のアプローチ。<現実社会と折り合うことの閉塞感>や<精神と肉体のシンクロしていない状態への違和感>や<フィジカルとしてのセックスへの欲望>などなど。作品に登場する女性たちは性行為によって促される<再生>を果たすことを夢見ている。現実はもっとドロドロしてるんだけどね。そのあたりの複雑な解答のない混沌を夾雑物として排除して<剥き出しの=浮き彫りにした>純粋な性欲を追求し遂げる女性を描いている。あとがきに、著者自身の持っていた経験をも描いている、とある。でもそれは特別なことではなく、私自身さえ重ね合わせられる「普遍的な、女性としての通過儀礼(イニシエーション)」とも言えることにすぎないと思う。もう、そういう意味で少女じゃなくなった私を哀れむ気分もちょっぴり、ある。
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