正論を言う人間に求められる資格
Thursday, June 14, 2012 9:53:23 AM
正論、道理を説くに当たって周知の正しさを有しているとされる理論
これを口から発する事の出来る人間とはいかな存在だろうか
正論とは周知の正しさを内包した論である以上、誰でも知っているし、誰でも納得出来るものだ。
故に正論を口に出すだけなら容易い、ここで言う「出来る」とは可能事項かという問題ではなく
それを言うだけの、納得出来る資格と権利を有するとはどういう事を指すか言うことだ。
私は正論を口にする事が出来るのは正論以上に正しい人物に限られると考える
なぜなら、正論の正しさを振りかざしても遜色ない正しさを有する者の発言でなければ
正論はその正しさを損なうと私は考えるからだ。
たとえば、泥棒が泥棒に「泥棒なんて止めろ」と言ったとしよう
注意した泥棒は一体誰からの共感が得られるだろう、きっと誰からも得られない。
注意された泥棒さえ、注意した方の泥棒を訝しみ、馬鹿にし、場合によっては怒りを露わにするだろう。
正しくない者が発した正しさとは正しくないのだ。
自分が悪さをするときは見逃し、他人が悪さをする時ばかり正義漢振る
そんなものは都合良く道理を出したり引っ込めたりする小癪な考えに他ならず
二律背反、ダブルスタンダードであると言わざるを得ない。
これを口から発する事の出来る人間とはいかな存在だろうか
正論とは周知の正しさを内包した論である以上、誰でも知っているし、誰でも納得出来るものだ。
故に正論を口に出すだけなら容易い、ここで言う「出来る」とは可能事項かという問題ではなく
それを言うだけの、納得出来る資格と権利を有するとはどういう事を指すか言うことだ。
私は正論を口にする事が出来るのは正論以上に正しい人物に限られると考える
なぜなら、正論の正しさを振りかざしても遜色ない正しさを有する者の発言でなければ
正論はその正しさを損なうと私は考えるからだ。
たとえば、泥棒が泥棒に「泥棒なんて止めろ」と言ったとしよう
注意した泥棒は一体誰からの共感が得られるだろう、きっと誰からも得られない。
注意された泥棒さえ、注意した方の泥棒を訝しみ、馬鹿にし、場合によっては怒りを露わにするだろう。
正しくない者が発した正しさとは正しくないのだ。
自分が悪さをするときは見逃し、他人が悪さをする時ばかり正義漢振る
そんなものは都合良く道理を出したり引っ込めたりする小癪な考えに他ならず
二律背反、ダブルスタンダードであると言わざるを得ない。




