Skip navigation.

620 Drunkard Laboratory

Posts tagged with "book"

「悦楽の園」 木地雅映子

「悦楽の園」 (木地雅映子,ジャイブ)


 誰にでも受け入れられるわけではない。だけど,必要とされる人に取っては,かけがえのない作品となるだろう。それが木地雅映子の物語だ。
 現実とバランスを取りながら生きている今,普通であることになれきってしまっている大人である自分にとって,この本が必要かどうかはわからない。そしてガレオンも。だけど,今,この時に必要としている人達は必ずいる。その人達に木地雅映子の物語が届いてほしい。

「サクリファイス」 近藤史恵

「サクリファイス」 (近藤史恵,新潮社)


 白石誓は石尾豪という日本を代表する選手を擁するロードレースのチームの2年目の選手。当然,白石に課せられた仕事はアシストとして働きエースである石尾を勝たせること。そのことに対して不満など抱くはずがなく,当り前のようにアシストとして走っていたのだが,石尾に関するある噂を聞き頭の中にかすかに靄がかかってしまう。そして,レース中にある事故が発生する。

 ロードレースには「エース」と「アシスト」という存在があり,そこには明確な役割の違いが存在していることは自明。しかし,エースがエースであり続けることが出来なくなった時,自分の能力を凌駕するものが現れた時,どうするのか。道を譲るのか,あくまでも固執するのか,それとも。

 ロードレースの世界だけではなく,チームスポーツの世界には必ず犠牲が存在する。だけどそれは,勝利という目的のための役割であり,そういった存在がいなくして勝つことは出来ない。決してスポットライトは当らない。だからこそ,その役割をチームの勝利のために果たし続ける選手には崇高さを感じる。

「敵影」 古処誠二

「敵影」 (古処誠二,新潮社)


 終戦間際の沖縄。収容所で捕虜となってい男は2人の人間を探していた。1人は陸軍病院で献身的な世話をしてもらった女学生の高江州ミヨ。もう1人は高江州を死に追いやったという男・阿賀野。時間が経つにつれ徐々に見えてくる二人の影。そして,阿賀野という男の正体。

 「死んでいないのが罪だとは悲しいよ」

 これが,あの時の現実なのか。そして正なのか。
 生きて敵の捕虜となるのならば,死ぬまで戦え。戦えぬなら自らその命を絶て。狂信。
 あの時代,環境下でそういった考えを持たざる得なかった人達に対しては批判は出来ない。ただその狂信を作り上げたことと,考え方自体は絶対に間違っている。

 現代の日本にもこの考え方が残ってやしないか。頑張れ,限界までやれ,・・・。
 スポーツを見ていると応援している人間,ましてやメディアがそんなこと平気で言う。
 必要なことかもしれない。だけど,国や組織のためにそんなに頑張る必要はない。頑張るなら,限界まで必死にやるなら自分のためにやってほしい。周囲の人間は「もう十分だ」,「そんなに頑張るなよ」と言うことが,優しさであったり,応援であったりするのではないだろうか。

「制裁」 アンデシュ・ルースルンド/ベリエ・ヘルストレム

「制裁」 (アンデシュ・ルースルンド/ベリエ・ヘルストレム,ランダムハウス講談社)


 古いアパートの地下室で2人の強姦された少女の遺体が発見された。この犯人は逮捕され人々はこのことを忘れかけていた。それから4年後・・・。
 あの殺人鬼が護送中に脱走した。そしてまた,新たな犠牲者が生まれる。犠牲となった少女の父親のある決断が,人を街を狂わせ始めた。

 これは英雄的行為か,それともただの復讐であり犯罪か。そしてその行為を法が認めた時にもたらす社会的影響とは。
 父親の悔しさには間違いなく感情移入をする。2度も殺人鬼の横を通り過ぎ,顔を見ているのにもかかわらず防ぐことのできなかった己の情けなさ。その後の行為や,社会の反応も納得できる。だけどそんなに単純なものなのかとストッパがかかる。その役割を果たすのは,この事件の担当検事の苦悩と,ある小さな街の狂信的な集団心理。そこで読者は冷静になる。その行為を認めてしまって良いのかと。
 何が正で何が悪なのか。答えはない。だけどその答えのない問いを読者に投げかけてくる。深く,そして重く。
 これはスウェーデン版「殺人症候群」である。

「ジオラマ」 桐野夏生

「ジオラマ」 (桐野夏生,新潮文庫)


 高校時代の同級生という人間から電話がかかってきた。私は全く覚えがないのだけど少しつき合ってやる「雲の巣」。カールはドイツで観光案内のガイドをやっている。今回引き受けた女性は観光目的ではなくて,ある人を捜しているという「捩れた天国」。銀行が潰れ,会社という防壁を失った銀行員はマンションの階下に住む風変わりな女性に惹かれ,階上にいる妻を意識しながらその女性を抱く「ジオラマ」。9編からなる桐野夏生の短編集。

 なぜ桐野夏生を読むのかと問われれば,あれが快感だからと答えることになる。物語の最後で一方的に読み手を突き放す,こちらに取っては突き放されたのが,最早快感であると言わざるを得ないから。物語のエロティックさと,この突き放された快感が相乗効果を及ぼし読み手を楽しませてくれる。こんなことを言っていると,俺は単なるMの変態みたいだ。

「簡単に断れない。」 土屋賢二

「簡単に断れない。」 (土屋賢二,文春文庫)


 基本的に土屋賢二の本はどれを読んでもコンテンツはいっしょ。だから土屋賢二を楽しみたいと思う人間以外は,どれか1冊だけ読めば良いのではないかと思う。だけど土屋賢二に取り憑かれて(疫病神か)しまった人は,定期的に土屋エキスを体内に注入したくなってしまうのだ。

「ラスト・ブレス」 ピーター・スターク

「ラスト・ブレス」 (ピーター・スターク,講談社文庫)


 人は誰でも次の瞬間に死ぬ可能性を持っている。最後の一息を吐いて。激流に飲込まれたカヤック乗り,猛暑の中極限までペダルを踏み続けるライダー,1人で困難な崖に挑み転落したロック・クライマー。彼らは死の直前にどんな苦しみを味わい,どんな肉体状況に陥り,そして何を見たのだろうか。死を目前に迎えた人間を描く11の物語。

 死と生は常に背中合わせだ。だからこそ,死に近づいた時に生を最も強く感じられるのではないだろうか。「生きている」という実感。これを求めるために人は自ら自分を追込む。そしてその代償としての「死」。
 人は必ず死ぬ。生きているということは死に向っているということと同義。そんな中で,生きているという実感を味わうことができるのなら死という代償はそんなに高くはない。

「夜想」 貫井徳郎

「夜想」 (貫井徳郎,文藝春秋)


 おれは事故により妻子を失い,未だ立ち直れずにいた。ある時,定期入れを落としてしまい女性に拾ってもらったのだが,彼女は泣いていた。彼女は物に残る思いを読み取ることが出来るのだった。自分のために泣いてくれる人がいておれは救われた。そして,彼女は多くの人達を救う力を持っている。おれは彼女のために生きよう。

 宗教をつくる側の人間から描かれている。あの「慟哭」から14年が経ち,対になるとも言える物語がつくられた。

 人を救いたいと言うと大げさだが,純粋に人のためになりたいという思いの結果として宗教と言う形になるケースもあるだろう。その根本さえズレなければ,人を救うことができるかもしれない。そして実際に救われた人もいるのだろう。だけど,俺は根本的に宗教という物がダメだ。宗教が絡んだ時点で嫌悪感を抱いてしまう。人は何かにすがらなければ生きられないのか。そんなに自分が信じられないのか。結局,自分を救うのは自分しかいないと思っている。

「ネジ式ザゼツキー」 島田荘司

「ネジ式ザゼツキー」 (島田荘司,講談社文庫)



 御手洗は研究室で記憶に障害を持つエゴン・マーカットと面会する。エゴンは記憶を蓄積することが出来ないのだった。御手洗は彼が書いた幻想的な物語の中にその障害の秘密があるのではないかと考える。そこに出てくるのは蜜柑の樹の上の国,人工筋肉,ネジ式の関節を持つ妖精・・・。この物語に隠されたのはマーカットの過去と猟奇的な事件だった。

 最近の島田荘司らしい設定と,有無を言わせぬ強引さには満足。

 ただし,巻末の載せられたエッセー「マンハッタン物語」はちょっと・・・。
 自身がマンハッタンの建築に何を感じたのかということはわかった。だけど素人が著名な建築家達の名前をだしながら,タラタラと建築論を語るのは耐え難い。余計なものを載せなくても良いのに。
 ただ単に読まなければ良いだけだし,作品の評価には全く関係ないけど。

「リドル・ロマンス」 西澤保彦

「リドル・ロマンス」 (西澤保彦,集英社文庫)


 長身痩躯で美形で黒いスーツに身を包んだ心理探偵・ハーレクイン。彼のオフィスへやっきて望みをかなえて欲しいと願うクライアントたち。彼らが抱える心の闇を鮮やかに解き明かす。

 その切れ味は素晴しく,そして冷たい。
 切れ味に冷たさを感じるが,クライアントたちは痛みを感じることはない。むしろその切れ味は快感すら伴う気がする。

 テクニカルなことは良くわからない。ただ全編に渡り漂う,妖しさとエロティシズム。そして切れ味にゾクッとする。